目覚めるとは目覚めるべき人など誰もいないことを知る事です(シュリ・アンマ・バガヴァン)

このコーナーでは、好きな言葉、気になる言葉、思わずうなずいちゃう言葉、目から鱗のことば……、折々に取り上げたいと思います。

 

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目覚めるとは目覚めるべき人など誰もいないことを知る事です(シュリ・アンマ・バガヴァン)

 

「シュリ・アンマ・バガヴァン」というのは固有名詞ではなく尊称であり、じっさいにこの言葉を語ったのはディクシャを広めたカルキの奥さんとされます。

ここでは彼女を慕う人たちにしたがって、その尊称のままご紹介をします。

 

 

さて、「目覚めるとは目覚めるべき人など誰もいないことを知る事です」──たしかにその言葉は真実でしょう。

非二元(ノンデュアリティ)を説く多くの先生方も、よく同じようなことを言います。

 

でも注意が必要です。

「目覚めるべき人など誰もいない」と思っている人が目覚めた人だとは限らないのです。

ちょうど、「犬が動物」だからといって、「動物が犬」とは限らないのと同じように。

 

 

ここで言われているのは、分離あるいは分別(ふんべつ)のことです。

分別というと、一般には「ものの道理をわきまえていること」であり、よいことだと言われているけれど、仏教では逆にこれが煩悩の原因だとされます。

 

たとえば、「敵」と「味方」。
争いごとの渦中にいるとき、人はそれを意識します。

でも、ほんとうは敵も味方もいません。
ただ、いろいろな人がいるだけです。
他人を敵と味方に分けているのは、争いの渦中にいる当事者だけです。

 

ここでは分かりやすく敵と味方と言いましたが、人が何かを見るときには多くの場合、無意識のうちにこのような区分けをしている……。
それが「分別」です。

 

 

では、他人を敵や味方に分けるという見方をしてはいけないのか?

 

──もしそうなら、サッカーも剣道もトランプも将棋もできなくなるでしょう。

 

つまり、分別は煩悩の原因であると同時に、人生を豊かにするだいじな道具ともなるのです。

さらに同じように、「目覚めるべき人など誰もいない」ということは真実であると同時に、でもやっぱり「目覚める」という体験はたしかにあるのです。

 

 

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